レースレポート 2000年
初のアフリカ大陸横断ルートで、クラス5連覇を達成!
2000年 PARIS-DAKAR-CAIRO

2000年という節目の年の幕開けには、パリダカ史上初となるアフリカ大陸横断ルートが用意された。スタートセレモニーのみはパリ・エッフェル塔脇で行われたものの、その後、各車両はフェリーにてダカールに運ばれ実質的な競技のスタートはダカールからという設定である。日野レンジャーは今大会も「TEAM SUGAWARA」からのプライベート参戦。日野レンジャーとして節目となる10年目の参戦には、ドライバー・菅原義正、ナビゲーター・鈴木誠一、菅原照仁のクルーに、日野自動車よりエアメカ・矢口義光が加わり、最小限の体制ながらも万全な布陣で、エジプトのピラミッドを目指した。
1月6日、ダカールをスタートしたレンジャーは、木立の茂るツイスティーなコースを順調にこなし、2日目には早くも2番時計をマークし、序盤はトップ3に食い込む走りで順調な滑り出しを見せる。しかし6日目、初の500kmを超すロングステージを終え、ニアメイのビバークに到着した選手達に「ラリーに対する大規模なテロが発生する可能性がある」という衝撃的なニュースが飛び込んだ。これにともない、主催者TSOは競技の一時中止を発表し、安全が保障されるリビアへの空輸作戦を実施し、ラリーは5日間のステージがキャンセルされることとなった。
1月17日、5日間のブランクを経てリビアのサバから競技が再開されたものの、残されたステージは僅か7ステージ。この時点で僅差の5位につけるレンジャーは、リビア、エジプトの砂丘地帯で上位進出を目指した。しかし、レンジャーが得意とする砂丘地帯は現れず、馬力勝負の広大な土漠地帯が続き、大排気量のカミオンに徐々に差を広げられてしまう。最後は6位のタトラにジワジワと詰め寄られたものの、気力を振り絞って総合5番手を死守し、クラス5連覇でギザの3大ピラミッド前にゴールを果たした。
「TEAM SUGAWARA」
1号車 菅原義正/鈴木誠一/菅原照仁
エアメカニック 矢口義光(日野自動車)
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順位 | ゼッケン | ドライバー | 車種 |
---|---|---|---|
1 | 409 | チャギュイン | カマズ |
2 | 407 | ロプライス | タトラ |
3 | 416 | カビロフ | カマズ |
4 | 408 | アゼヴェド | タトラ |
5 | 400 | 菅原義正 | 日野レンジャー |
6 | 414 | スクレノフスキー | タトラ |
7 | 404 | バウエール | ウニモグ |
8 | 418 | ボソネ | メルセデス |