PROJECT
プロジェクトストーリー③

Dakar Rally

“みんな”がいたから、
進み続けられた

道なき道をいく。広大な砂漠をひたすら進む。世界一過酷といわれるレース、ダカールラリーに日野自動車は30年以上出場し続けています。世界的に見れば、F1と肩を並べるほど有名なレースです。当社32回目の出場となった2023年大会では、これまでになかったトラブルが発生するなど、リタイアの危機もありました。ドライバー、同乗者、サポート役が、現地、そして、国内で一丸となる。「絶対に走りきるんだ」そんな共通の想いを持ったチームの挑戦に迫ります。

Y.M
技術研究所
ダカールチャレンジグループ
2003年 入社

ラリーカーに同乗する社員選手。同乗メカニックとして、レース中のトラブルなどに対応。また、実際に乗車をしなければ分からないことをレポートするなど、車両開発者へ精度の高いフィードバックを行う役割も担った。

T.T
ボデー開発部
2006年入社

ボデー設計者としての経験を活かし、ラリーカーにおける軽くて壊れないキャブと荷台を設計。レースではマネージャーとして帯同。現場での判断、時間管理、安全管理、日本側との情報共有などを行った。

Y.N
シャシ開発部
2016年入社

レース中の乗員の負担を軽減すべく、キャブサスペンションやシャシサスペンションの仕様検討・セッティングを担当。レース時は現地時間に合わせて日本で走行データを解析し、走りきるための対策の検討などを任された。

STORY 01
選手として、設計者として
Y.M
私は地元が日野自動車の本社に近くて、学校行事の工場見学で何回か訪れていたんです。それで、ダカールラリーに出場していることは子どもの頃から知っていて、ずっと憧れていたんですよ。その夢がようやく2018年に公募という形で叶って、メカニックとしてダカールラリーに挑戦することができました。その後に大型免許やモータースポーツライセンスを取得し、2019年からは社員選手としてラリーカーに乗車しています。Y.Nさんの参加のきっかけは何だったんですか?
Y.N
私は2016年に入社してから、シャシ開発部でサスペンションの設計を行っていました。その頃から、ダカールチャレンジグループから新しいサスペンションを構想したいという依頼を受けて兼任で携わり、2020年からダカールチャレンジグループへ異動したんです。そして、それまでの経歴を活かして、走る・曲がる・荷重の移動といった車両の挙動と、人の感性が合うようなサスペンションのセッティング検討を主に行っていました。T.Tさんも私と同じ頃から参加していますよね?
T.T
私も2020年からですね。入社してからは、ボデー開発部で様々なクルマの設計開発を担当していました。その後、2014年からは日野ブランドのトラックのキャブ設計を担当して、2020年のレースでラリーカーのキャブの一部が壊れたことがきっかけで、ダカールチャレンジグループへ配属されることになったんです。
Y.M
それまでキャブは外部のメーカーさんにお願いしてつくっていたんですよね。
T.T
そうですね。けど、2020年の故障を機にボデーの専門家に任せるという流れになったんですよ。結果的に2020年のレースは走りきれましたが、次に故障をした時はそれが致命傷になるかもしれない。そんな不安はなくしておこうということで、私に白羽の矢が立ったんです。
STORY 02
大切なのは「走りきれる」ということ
Y.M
お二人は、この部署に異動するまでは市販車の設計担当でしたよね。市販車とラリーカーの設計だと、どんな点に違いがあると感じてますか?
T.T
基本的に設計のやり方は市販車もラリーカーも変わらないんですけど、気を付ける部分というか、優先させる部分が違うのが一番大きなところですかね。
Y.N
市販車だと様々な人が運転をするので、誰が乗っても変わらない快適さを目指しますし、壊れないことを優先させています。でも、ラリーカーは乗車する人が決まっていて、かつ1レースを走りきれればいい。だから、乗り心地や強度などに対する考え方が変わってきますよね。
T.T
「1レースをギリギリ走りきれる」というのが肝ですよね。車体の強度を上げれば重くなって遅くなるし、逆に軽すぎるとレース途中で壊れてしまう。
Y.M
私は社員選手としてラリーカーに乗車していますが、お二人のセッティングはすごくギリギリなところを攻めてくれているなと感じていますよ。足回りは意図した方向にきちんと車両が動いたし、乗り心地もレース視点ではまったく問題ないと思っていました。荒れた道を走っても、疲れにくかったです。おかげで集中力が保ててミスが減り、タイムの向上につながって時間内に走りきれました。
Y.N
そう言ってもらえると嬉しいですね。ラリーカーは、一旦できあがったら国内のテストコースで実際に乗って確かめているんですが、それもすごくいい経験になります。
T.T
市販車だと設計者自らテスト走行をすることってあまりないですからね。ただ、日本には砂漠という環境がないので、最終的な調整は現地ですることになります。
Y.N
しっかり走り切るために、現地の環境に合わせて調整することは非常に重要ですよね。私は今回残念ながら日本からの遠隔参戦となってしまいましたが、自分の目では車両の状態を見られない分、ハラハラドキドキしていました。
STORY 03
リタイアを覚悟したエンジントラブル
Y.N
2023年のダカールラリーはサウジアラビアで開催されて、1日1ステージで全14ステージ。トータル距離は8,000kmくらいでしたね。
T.T
1日あたりの走行距離が東京から大阪よりも長くて、しかも舗装されていない地面を毎日走るわけですから、どんなに準備をしたとしても何かしらのトラブルは必ず出る。そこが難しくもあり、やりがいにもなるわけですけど、当社にとって32回目の挑戦となった2023年大会では、どんなトラブルが一番印象的でしたか?
Y.M
2023年の目標は、「ハイブリッドで上位を目指す」でした。ハイブリッドは効率よくエネルギーを使える方式で、ダカールで培った技術を市販車に活かすということも考えていましたからね。そうした中で一番大変だったのは、やはりエンジントラブルじゃないですか?
T.T
早い段階でエンジン内部の冷却水が減ってしまったんですよね。例年では起きたとしても、終盤で起きるようなトラブルなんですけど…。ラリーカーのエンジンは道なき道を走るために市販車とは比較にならないくらいのパワーが出るようにチューニングしているので、そうしたことが起こりやすくなるのは確かです。ですが、1レースは持つように設計をしているので、6ステージ目という序盤でこのトラブルが起きたのは衝撃的でした。このまま走りきれるのか…と思わずにはいられませんでしたね。
Y.N
ラリーカーに同乗していたY.Mさんは、当時はどんな気持ちだったんですか?
Y.M
「絶対にリタイアさせない」という強い意志で、みんなが待っている中継地点のビバークになんとしてでも行こうと思っていましたね。
同乗メカニックとして乗車していた私の役割は2つあって、一つは、次回の設計に活かせるような「現場での体感」を車両開発者にフィードバックすること、そしてもう一つは、「レース中にトラブルが起きたら修理する」という重要な役割も担っていたんです。その役割を果たすため、トラブルが起きた時は何とかしようと必死でした。冷却水の温度を下げるために備蓄していた水も切れてしまったので、現地の人に「水をください…」と声を掛けたりもしましたね。
T.T
私はサポート役としてビバークで待っていたんですが、情報がほとんどないんですよね。断片的に「水温が上がった」ということだけしか分からず、気が気でなかったです。そして、夜中になってようやくビバークに入って来て姿が見えた時は、少しだけ安心しました。
Y.M
T.Tさんはチーム全体をまとめる立場でしたが、あの時の判断はすごく難しかったんじゃないですか?
T.T
考えられる原因はいくつかあったので、まずは所要時間の短い箇所から確認していくという判断をしました。でも、周辺部品に異常はなかったんですよ…。
Y.N
それで、「エンジンをばらす」という判断をしたんですよね。
STORY 04
過酷なレースだからこそ得られる大きなもの
T.T
ばらしてしまうと二度とエンジンが掛からないという恐れもあったのですが、いつダメになってしまうか分からない状態を続けるより、一度ばらして原因を明確化したほうがいいと思ったんです。
Y.M
その判断のおかげで残りを走りきれたと言っても過言ではないですね。完璧な修理はできませんでしたが、原因が特定されて正しい対策を打つことができました。
Y.N
エンジンは始動させる瞬間が一番トラブルを起こしやすいので、日本にいながら「今日はちゃんとスタートできたかな…」と、7ステージ目以降は毎日祈っていましたよ。結果として走りきれて本当によかった…!また、個人的にはサスペンションを担当した者として「乗り心地」が気になっていましたが、「いいペースで走れているのは、足回りの改善効果が非常に大きい」と評価をもらえたことも嬉しかったですね。
Y.M
大きなエンジントラブルはありましたけど、Y.Nさんがセッティングしてくれたサスペンションはすごくよかったので、その点はずっと安心して乗っていられましたよ。
T.T
Y.Mさんは元々エンジンの開発をしていたので、エンジンの調整時に大活躍でしたよね。レースは過酷ですし、大変なこともたくさんありましたが、それぞれが役割を担って、それを全力で全うすることができたからこそ、2023年も完走できたのだと思います。
Y.M
いえいえ、こちらこそですよ。T.Tさんがビバークにいてくれて、いつも正しい判断で導いてくれたので心強かったです。またY.Nさんは、日本にいながらも毎日走行データの解析を行ってくれたり、本当にありがとうございました。色々なトラブルはありましたが、2023年のダカールラリーを乗り越えて、より一層チームの結束が強固なものになったと思います。
Y.N
想像以上に大変でしたけど、日本に私たちのラリーカーが帰って来た時に感じた、「ああ、今年1年、よく頑張ったな」という達成感は、なかなか得られるものではないです。そんなやりがいのある仕事に若手のうちから携われるのもいいですよね。
Y.M
ダカールチャレンジグループでは、レースに向けて高速PDCAを回して、「どうしたらいいか?」ということを常に考えなければなりませんから、若手の方が成長するにはすごくいい環境だと思います。
T.T
日本のトラックメーカーでダカールレースに参加しているのは日野自動車だけですし、毎年すごく大きなものを得られる大会なので、これから先も途切れることなく参戦し続けていきたいですね。