<インタビュー>東京2020パラリンピック競技大会 リフト付き日野セレガ改修プロジェクトメンバー

安全で安心、そして快適な移動を全ての人に

~車いすを利用する選手の移動を支えた、私たちの記録~

商品・技術2021年12月17日

日野は、「人、そして物の移動を支え、豊かで住みよい世界と未来に貢献する」という使命のもと、「お互いを理解し、多様性を認め、誰もが個性や能力を発揮して活躍できる共存社会の実現を目指す」というオリンピック・パラリンピックの精神に共鳴し、東京2020パラリンピック競技大会(以下、東京2020パラリンピック)の車いすを利用する選手の安全で安心な移動の実現に取り組みました。
世界中から参加する約2,000人にも及ぶ車いすを利用する選手やスタッフの移動は、東京2020パラリンピックの成功を左右する重要な課題であり、その解決は、日野の目指す「人や物が自由に最適に移動できる社会」につながります。東京2020パラリンピックでは過去の大会で多く使用された路線バスではなく、大型観光バスを改修して活用するという、これまでにないスタイルとなりました。
今回は、この一大プロジェクトを成功させるまでの歩みと、そこにかけた思いについて、プロジェクトメンバーにインタビューしました。

<お話を伺ったのはこの方たち>

(左上から)日野自動車株会社 
2020企画グループ 岡野 俊豪、山田 潤、バス部 望月 裕貴、ボデー開発部 河村 哲夫、製品開発部 柴 大明(パラアイスホッケー日本代表選手)

1. 困難への挑戦と、その決意

――――どのような経緯でプロジェクトがスタートしたのでしょうか

山田:東京での大会開催が決定して間もなく、車いすを利用する選手とスタッフ約2,000人の移動が課題として浮上しました。日本には、バスを含めて、たくさんの車いすを利用する方を効率よく運ぶ手段がなかったからです。当初は、新たな車いす専用車両の開発企画や既存の路線バスを使ってのテスト走行など、試行錯誤を繰り返しました。
一方で、大会組織委員会との協議も重ねていました。安全性や交通事情、予算なども含め検討をしていく中、選手の移動には既存の大型観光バスを使用し、全国のバス事業者から借り入れて運行するとの方針が決定されました。大会の約2年前、2019年のことでした。

岡野:しかし、観光バスと言っても車いすで乗車できるリフト付きの観光バスは、車両一台につき車いす2脚分程度の乗車スペースしかなく、多くの台数が必要となってしまいます。それでは、輸送効率が良くありません。また、リフト付きの観光バス自体の台数も限られていました。そこで、バスに装備されている座席を取り外して車いすスペースを6脚程度に増加させることはできないか?と考えました。つまり、全国のバス事業者様から車両をお借りして、多くの車いすを乗車できるように改修し、大会後すぐに元の状態に戻してお返しするということです。ただし、車両をお借りするため、穴一つ開けられないわけです。

山田:もちろん、溶接もできません。正直、頭を抱えましたよね。しかし、商用車メーカーとして、また大会スポンサー企業であるトヨタ自動車のグループの一員としてしっかり責務を果たしたい、その思いだけは強く持っていました。私は、すぐに当時社長の下さんへ相談に行きました。「とても難しい課題ではあるけれど、日野にしか解決できないこと。落第することは許されない。ただちにバスに精通したメンバーを集めて取り組みましょう。」と背中を押してくれました。この時の言葉は、必ず成功させると決意させるとともに、この後、何度も私たちを奮起させてくれました。
こうして、車両企画、開発、営業による検討チームが結成され、第2幕がスタートしました。

岡野:私は、日野に入社してからバス一筋でやってきました。バス分科会会長(日本自動車工業会)を務めていた経験もあり、バリアフリーの普及に関わってきましたが、車いすを利用する選手の輸送には多くのノンステップバスやリフト付きの観光バスが必要になることになり、台数が確保できるのか心配でした。

望月:車いすのまま乗車できるリフト付きの観光バスは、業界でも特殊車両という位置づけで、全国でも300台程度にとどまっていました。営業の立場からすると、お借りできる車両を一台でも多く普及しなければという使命感とプレッシャーでいっぱいでした。ただ、誰もが自由で安全で効率的な移動ができる社会を目指す日野としては、もっと増やしていくべきと考えていました。幸い、東京2020パラリンピックをきっかけに、お客さまの間でもリフト付きの日野セレガへの関心は高まっていましたので、リフト付き車両のデモカーを用意して実車展示説明会等、各地を回って理解を深める活動を展開しました。

岡野:そして、日野が開発を担っているバス製造メーカーのジェイ・バス(日野といすゞの合弁会社)製の車両では、一般乗客用シートを取り外し、車いす用のスペースを6脚分まで増やすことができる。同時に、安全のために車いすを固定するベルトを、外した座席の取り付けボルトに固定すれば十分に安全な強度が確保できることが分かりました。これならいけると思いました。

河村:開発としては、実際にどんなボリューム感になるのだろう、スケジュールは間に合うのだろうか、そんな心配もよぎりましたね。

山田:最終的に、大会組織委員会が借り入れるバスの内、ジェイ・バス製の60台を改修することに決まりました。

2. 安全で安心、そして、快適という「おもてなし」を移動にも

――――開発はどのように進んだのでしょうか

河村:私も岡野さんと同じバス分科会の一員として、「ユニバーサル」「バリアフリー」といったことをずっと検討してきた経験がありました。ただ、2,000人という規模感と、車いすを利用する選手と言ってもそれぞれ体格が異なることを考えると、非常に難しい課題でした。それを解決するには、車いすを利用する選手の立場での柴さんのアドバイスや評価は欠かせないものでしたね。

柴:私は、実際に車いすアイスホッケーの選手として活動しています。冬の競技なので、東京2020大会では、このプロジェクトの一員として関わりました。これまで、さまざまな国や地域に遠征し、当然ながら車いすでの移動を経験してきました。そんな中で、これは良かったな、もっとこうあったらいいな、ここが不安だな、など感じたことや考えを、選手の立場から率直にぶつけさせてもらいました。

河村:車いすを使わない私には気付くことのできないことをたくさん教えてもらいました。また、大勢の選手が使うものを、最大公約数で考えていいのかというジレンマから、柴さんよりも体格の大きい外国人選手へも意見を伺いました。例えば、車いすから座席への乗り移りや車内での方向転換などを考慮して、予定数より多くシートを外すなどの変更も加えています。体格や姿勢に合わせて調整ができたり、さまざまな乗車スタイルに対応できたりすることが、安心や快適さにつながります。改めて、私たちには一体何ができるかを考えたとき、単に輸送能力を上げるだけでは不十分で、選手を安全に確実に運ぶための「大切な道具」として柔軟性を持つことも大事だということを実感しました。

岡野:これまでのオリンピック・パラリンピック大会では、路線バスの活用例がほとんどでしたが、例えば、ヨーロッパでは、車いすを後ろ向きにして乗車します。背中側を車両に預けているので、ブレーキをかけた時に前に進んでしまったり、倒れたりすることがありません。つまり、車いすを固定する必要がなく、素早く簡単に乗り降りが可能です。しかし、後ろの席に乗車している人と目が合ってしまいます。日本人は視線が気になって嫌がる傾向が強く、また進行方向と逆向きに座るので気分も悪くなります。そのため日本では路線バスでも前向き乗車が一般的で、その結果、車いすの固定が必要になっています。つまり、路線バスを使っても乗降にかかる時間は短縮できないのです。

河村:結果として、路線バスよりも視線が高い観光バスでの移動は、空港や競技会場までの街並みを楽しんでいただけたのではないでしょうか。おもてなしをするという、東京2020オリンピック・パラリンピックの思想を体現できたと思います。

試作品の実車確認会の様子

――――技術的な課題とは

岡野:先にもお話しましたが、バス事業者さまからお借りする車両ですから、穴1つ空けず溶接もせずに改修するのが大前提でした。その上で、乗降時の選手や介助者の負担を最小限にし、運用や改修作業の簡素化を図る。これらを全て満たす方法を開発する必要がありました。

河村:いかに標準仕様のものを活かせるかが勝負でした。何度も議論を重ねて、試作しては実証・改良の繰り返しでした。初期の試作品では、柴さんからの評価は散々でしたね…。

山田、望月:これがまた本当に辛口で…(笑)

山田:床の固定金具一つとっても、「タイヤは選手の足と同じ。これではぶつかって傷が付くし、タイヤもパンクするかもしれない。心配で試合に集中などできない、配慮が足りない!」と散々でした。

柴:車いすにとってパンクが一番困るんです。他にも、車いすを固定するだけでなく上体を安定させることも重要なこと、乗降のスムーズさが選手の気持ちを左右することなど、正直な感想をしっかり伝えました。

河村:柴さんからのアドバイスは本当に的確でした。おかげで、改良のポイントがクリアになりました。そうして、3回ほど大きな試作を経て完成したのが、この固定具(写真参照)です。標準仕様の車両に使われているシート固定用のアンカーボルトを活用して、ワンタッチで車いす用の固定レールを組み付けられるようにしました。また、レールと車いすとを固定するベルトはリトラクター式としています。柴さんから、ようやく合格をもらえました。

柴:乗降のスピード、車いすの固定のしやすさが決め手でしたね。海外で乗車したものを含めて、今までの中で最高傑作でした。これなら安心して乗車でき、毎回会場の行き来がストレスフリーで、試合に集中できるバスに仕上がったと思います。このバスが世界各国に広がっていけばいいですね。

初期試作品

完成品

車いすを取り付けた様子

――――実際の改修作業はどのように進んでいったのでしょうか

岡野:開発が終われば、次は実際の改修作業のスタートです。車いす用スペースを2脚分から6脚分にまで増やすには、2人掛けシートを10脚外すことになります。お借りした60台分を計算すると、60台×10脚=600脚です。その後に、初めて固定具の取り付けができるわけです。この作業を限られた時間でやり切れる人材が必要でした。バスを熟知し、熟練した技術を持つジェイ・バスの30名に石川県小松市から上京していただきました。一度に5台分のシートを外して降ろし、固定具を取り付ける作業を一日4回。全台数を4日という短期間で改修し切ることができました。

山田:実際に集まった車両には、事前の調査結果以上にお客さまの固有仕様があり、その場で即断して対応する場面が何度もありました。ジェイ・バスでなければできないことでした。

岡野:作業場所の選定も難しかったですね。大型観光バス60台分の作業スペースを確保できる広さ、お借りしたシート600脚分を保管できる良い環境、さらには、試合会場からの近さなど、いくつもの必要条件がありました。最終的には、築地市場跡のもともとマグロの冷凍用として使われていた倉庫を活用できることになりました。生鮮食品倉庫としての設備や清潔な環境が今回の作業場所としてマッチしました。こんなことがあるのか!と運の良さを感じました。

山田:リフト付きバスの標準仕様は1台につき車いす2脚分ですから、単純に3倍になったわけです。バスの台数に換算すると、120台分の輸送能力を創出することができました。

全国からお借りした車両

改修中の様子

3. 東京2020のレガシーを未来につなぐ

――――プロジェクトを終えて、いかがでしょうか

岡野:バスというのは、「安全」と「バリアフリー」が重要なテーマです。この東京2020パラリンピックの選手の移動は、日本のバスのバリアフリーを体現することになるという覚悟で、一生懸命考えてきました。この9月末で退職となりましたが、日野での最後の取り組みとして関われたこと、そして、安全にパラリンピックが閉幕したことは幸運でした。

柴:今まで、車いすを利用する選手として開発から意見を問われることがなかったので、少しでも力になれて嬉しいです。個人的には、私が太鼓判を押したバスがどうだったか、実際に使った選手の声を聞いてみたいですね。

望月:最初は、何から手を付ければ良いのかも分からないくらい戸惑いましたが、約7年間携わって思うことは、やりたくてもやれない仕事だな、ということです。本当に、さまざまな経験ができました。私自身、オリンピック・パラリンピックに対する見方への変化もありました。日野人生も20年以上と長いのですが、胸を張れる仕事になりました。実は、お客さまから今回の改修で使ったものを導入したいという問い合わせが来ています。ご要望に応えられるように、一日でも早く標準装備にしたいですね。まずは、部品としての販売を目指します。

河村:裏方として最後までやり切ることができて、一安心しています。車いすを利用する選手の安全・安心な移動を実現できたこと、そして、お借りした車両をきちんとお返しできたことも含めて成果だと思っています。この成果をしっかりカタチにして、商品化に取り組みたいと思います。望月さんのお話にもありましたが、待ってくださっている全国のお客さまに一日でも早くお届けできるように努めます。

山田:この大会は、世界に向け、そして未来に向けて、日本の良さを発信するショーケースでもあったと私は思っています。この一大イベントに、日野の本業である「輸送」という分野で貢献できたことがとても嬉しいです。また、パラリンピックを通して障がい者の方たちと関わって、今まで分からなかったこと、見過ごしてきたことに気付くことができました。2年以上にわたる活動となりましたが、明るく前向きに、諦めずに取り組んでくれた検討メンバーに心から感謝します。そして、多くの関係者の皆さまのご理解とご支援に、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

改修作業をしていただいた皆さんと

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