HINO

柔和な物腰に輝かしい功績を隠す
“攻めるために呼ばれた男”塙郁夫

新人ドライバーは世界に名の知られた59歳

「走ってみなければわからないというのが、こういう競技のおもしろいところ。簡単であるわけがないだろうし、事前に考えすぎて疲れちゃってもしょうがないから、なるようになると思って行きますよ」

2019年にドライバーとして「日野チームスガワラ」に新加入した塙郁夫は、柔らかな表情でダカール・ラリーに向けた想いを語った。もしもレーシングスーツやチームウエアを着ていない状態で出会ったら、59歳の彼がこのチームの“新人”ドライバーで、しかも7月のシルクウェイラリーでは新型車(北米専用車がベースのボンネットタイプで、トルコン式ATを初採用するのも大きな特徴)の実戦デビューを任されたスペシャルな存在であることに、気づかない人もいるだろう。そもそも日本では、一部のコアなオフロードレースファンと四駆好き以外、「ハナワイクオなんて聞いたことがない」と言うかもしれない。しかしIkuo Hanawaは、海外の四輪オフロードレースでは広く名の知られたベテランレーサーである。

2号車:北米専用車(HINO 600シリーズ)

速いトラックから大きなトラックに乗り替え

「茨城県笠間市で、大きな農家の三男坊として生まれて、とにかく人手が足りなかったもんだから、小学生のころから田んぼの中でトラクターや耕運機を運転して家業を手伝っていました。それが、オフロードで自在に乗り物を運転する楽しさを知った原体験。初めてのころはすぐスタックして動けなくなっていたのが、だんだんスイスイ移動できるようになって……。そのころ、日本でもレース人気が高まって、自分もいつかレースに関わりたいと思うようになったんです」

古き良き時代。田んぼでオフロードに目覚めた塙少年は、「自分でマシンを製作するということにも楽しさを感じ、高校3年生のころから自分でいじったマシンで身近なオフロードレースに出場していた」という。とはいえ当時の塙には、それほど大きな夢はなかった。またレースに出たい。出場したら勝ちたい。一度勝ったら次はシリーズチャンピオンになりたい。その夢が叶ったら、次は全日本で無敵の存在になりたい。そして一度でいいから憧れのアメリカでレースしてみたい……。そのステップをひとつずつクリアして、最後は「アメリカでレースしてみて、この地でなんとか一花咲かせたいと思ってあがいているうちに、いわゆる職業ドライバーになれていたんです」と振り返る。

ただし、アメリカをベースにレース活動を続けてきた塙が取り組んできたのは、ダカール・ラリーのように何日間もかけて長距離を走破して競うラリーレイドではなく、スタートからゴールまで1,000kmとか2,000kmをほぼノンストップで駆け抜けてひたすら速さを競う、アメリカンスタイルのオフロードレース。日本においてはマイナーなカテゴリーで、塙の活躍は残念ながらあまり知られてこなかった。だから塙自身も、こう笑う。

「アメリカンスタイルのオフロードレースというのは、ピックアップトラックが主役なので、僕も長いこと、軽くて小回りのきく、トラックのドライバーだったんです。
なので、この素晴らしいチームに違和感なく、入っていくことができました。

全日本オフロードレース選手権B-1クラスチャンピオン獲得(当時)
JFWDAチャンピオンシップレースシリーズ10年連続チャンピオン獲得(当時)