HINO

「チャレンジングスピリッツこそが伝統」
虎視眈々と攻めの態勢を整える菅原照仁

着実に加えられてきた照仁のエッセンス

「変えたいもの? とくにないです」

父親である菅原義正から「日野チームスガワラ」の新代表を受け継いだことで、「これまでのやり方と変えていきたいところは?」という問いに、菅原照仁はこうおどけてみせた。36回という「ダカール・ラリー史上最多連続出場」のギネスブック世界記録を持つ“ダカールの鉄人”こと義正は、2019年大会限りでダカール・ラリーのドライバーを勇退。チーム代表の座も照仁に譲った。

これを受けて新代表となった照仁が、その意気込みを熱く語ろうとしないのは、これまでチームあるいは照仁個人として積み上げてきた経験と実績に対して、確固たる自信があるからだろう。

「これが10年前だったら、自分の経験値も低かったので心配なことが多かったと思いますが、同じチームで長く一緒にやらせてもらったことで、自然なカタチで引き継げると感じています。最初の10年は、勉強の期間。しかしその後の10年間で、ドライバーとしてトラック部門の排気量10リットル未満クラス10連覇を達成することができました。もちろんこれはチームとして獲得した成績だと思っていますが、クラス優勝を積み重ねていく中で、これまでの『日野チームスガワラ』に自分のエッセンスも十分に入っていると思うので、敢えて何かを変えようとする必要はないと考えています」

チーム代表兼ドライバー 菅原照仁
「日野チームスガワラ」メンバー(21名)

初めてのダカールは、メカニックとしてだった

照仁が「チームスガワラ」の一員としてダカール・ラリーに初参加したのは1998年。前年にトラック部門の総合優勝および1-2-3フィニッシュを果たした日野レンジャーは、参戦体制を一新して、「チームスガワラ」のプライベート体制で1台が出場することになり、照仁はメカニックとして現地に赴いた。翌年以降、照仁は父・義正が駆る日野レンジャーにナビゲーターとして同乗。一方でダカール以外のラリーやオフロードレースではドライバーとしての経験を積み、2005年からは親子2台体制のドライバーとしてダカール・ラリー参戦を続けてきた。

36回という父・義正の記録に隠れてきたが、メカニック、ナビゲーター、ドライバーとしてこれまで21回(大会中止の2008年を除く)の経験を持つ照仁は、すでにダカール・ラリーを知り尽くした大ベテランの域に達している。