HINO

完走が難しいダカール・ラリー。
だから36年続けてきた。

記憶に刻まれたサハラ砂漠の絶景

「それまで二輪部門と四輪部門に参戦してきて、どうせやめるなら(当時のカテゴリーで唯一未経験だった)トラック部門にも出場しておこうと思たんです。ちょうど前年から、日野自動車がパリダカに挑戦していて、乗らせてもらえることになったんです。そうしたらトラックが、じつにおもしろくてね。11年目以降も参戦を続けることになったんです」

義正いわく、車輪が大きなトラックは走破性が非常に優れているという。「日野レンジャーで参戦するようになってから、エンジンが壊れたことは一度もない」というように、トラックや日野自動車の技術力に対する信頼性も魅力となってきた。加えて、「トラックは運転席が高い位置にあるので、視界が広くて運転しやすい」と義正。これまでその高いドライバーズシートから見てきたパリダカの景色で、とくにサハラ砂漠の美しさは心に残るものとなっている。

できない自分が、許せない。

気づけば義正のパリダカ参戦は四半世紀を越え、2008年ダカール・ラリー最多連続出場(25回)記録保持者として、さらに2009年には「ダカール・ラリー史上最多連続完走20回」の世界記録について、ギネスブックの認定を取得。2019年には「ダカール・ラリー史上最多連続出場」の同世界記録を、36回(大会中止の2008年を除く1983~2019年)に更新した。2009年に南米へ舞台を移してからは、「死んじゃうかもなんて思うことはなくなりました」と言うが、アフリカ大陸の時代には「サハラ砂漠では、半径400kmくらいに人が住んでいないとか、水を持っていないと生死にかかわるとか、そういう怖さもありましたね」と、極限的な厳しさも体験。しかしそれらの恐怖や過酷さは、義正のパリダカ参戦を阻む理由とはならなかった。

「やっぱり、負けたくないですから。なんとしてもいい成績を獲得したいと思ってやり続けてきました。でも、難しいんですよ。難しいからなかなかきちっとできなくて、だから毎回少しずつ修正していこうと思うんだけど、それがまたうまくいかない。本当は、できないことをわかっているんです。でも、やっぱりそういう自分が許せない。けっこう苦しいんですよ、やらなければならないことがいっぱいあって。でも、それは自分が決めたことですから、それを守り抜こうという意志があった。諦めるのは簡単ですけど、続けることに意味があると思うから頑張ってきたんです」

しかし2020年のダカール・ラリーに向けて、義正は極めて大きな決断を下すことにした。

ダカール・ラリー25年連続出場表彰を主催者から授与(2007年)