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DAKAR RALLY

ダカール・ラリーへの挑戦
日野自動車はチャレンジを続けます。
さらに一歩、前に進むために。
そのひとつの舞台がダカール・ラリーなのです。

日野自動車にとって、ダカール・ラリーとは?

日野自動車は、世界で最も過酷といわれるダカール・ラリーに1991年から参戦。過酷なレースを勝ち抜くために、車両耐久性、走行性能、信頼性など、あらゆる技術を結集させ、挑戦し続けてきました。
それは、モータースポーツを通じて培ったチャレンジスピリットと技術力を商品開発にいかすことで、お客様に満足いただける商品・サービスを提供するためです。1996年からは総合優勝を目標に掲げ体制を強化。1997年にはトラック部門総合では史上初となる1・2・3位独占という快挙を成し遂げ、その後もトラック部門のトップチームとして活躍を続けています。

日野チームスガワラとしての協業体制

日野自動車は、2006年大会からチーム名を“HINO TEAM SUGAWARA(日野チームスガワラ)”と一新し、菅原照仁氏が現在代表を務める日本レーシングマネージメント株式会社との協業体制を強化しました。
菅原照仁氏は、2003年ファラオラリー(エジプト)でトラック部門日本人初優勝、ダカール・ラリーにおいても排気量10L未満クラス優勝11連覇と素晴らしい成績をあげています。(記録はすべて2020年3月時点)

"ダカールの鉄人" 
菅原義正氏の軌跡

2019年4月にダカール・ラリー引退を発表した、菅原義正氏。1983年のダカール・ラリー初参戦(※)以来、ダカール史上最多の20回連続完走、36回連続出場と、前人未到の記録を打ち立ててきました。

※当時の名称は「パリ・ダカール・ラリー」。二輪部門への参加。

日野レンジャーを駆りチャレンジし続けた菅原義正氏の「軌跡」をぜひ、ご覧ください。

別サイトへのリンクボタン:サイト・菅原義正氏の軌跡を見る

日野のメカニックたちが世界へ羽ばたく

日野自動車では、ダカール・ラリーに参戦するサービススタッフ(レースメカニック)を全国の販売会社から募集しています。
日ごろの業務態度・日野サービス技術資格の取得・サービス技術コンクールの成績・上司や職場の推薦など、様々な角度からダカール・ラリー出場にふさわしいスタッフを選出し、世界の大舞台へと送り出しています。 過酷な状況下での整備にとって一番重要なのは、普段の整備作業をいかに身につけているかということ。基本を忘れずに培ってきた知識・技術があるからこそ、レース中のハプニングにも冷静に対処することができるのです。

レースドライバー・菅原照仁氏インタビュー

菅原照仁氏は、ダカール・ラリーについて「過酷な自然と時間との闘いを繰り返す、極限ともいえる状況のなかでのレースです」と語ります。
想像してみれば砂漠は、普段の便利な暮らしの対極にある厳しい環境。メカニックたちは砂嵐が舞う荒野で世界の強豪たちと戦う日野レンジャーを整備しなければならないのです。整備の現場は常に問題を抱えている極限の状況となります。
「自分たちだけで納得できる答えを出すことが要求されます」と菅原照仁氏。

「ダカール・ラリーは、ガレージがあって、工具が充実し、リフトもあるといった通常の施設・設備はありません。環境が整っていないところで、スタートまでの短い限られた時間のなかでレースカーを整備しなければなりません。ゆっくり考える時間はありません。その場での決断が必要になります」
日野自動車の販売会社から選ばれたメカニックたちは、砂ぼこりのなかで工夫と知恵に勇気を加えて答えを出し、日野レンジャーをゴールへと導いてきました。
メカニックたちのチャレンジが、ダカール・ラリーでの輝かしい戦績に結実しています。