ダカールラリー

レースレポート・アーカイブ

日野ライジングレンジャーが史上初の1-2-3フィニッシュを達成!
1997年 DAKAR-AGADES-DAKAR

1997

悲願のカミオン部門総合優勝に向け、「チームレンジャーHINO」は体制をさらに強化し、より戦闘力の増したライジングレンジャー3台を投入。ドライバーも勝ちにこだわった選定で、1号車には日本人最多出場者でありカミオン部門での完走率100%を誇る「安定感」の菅原義正。2号車には参戦当初のラリー車両開発に携わる一方で、自らハンドルを握り果敢なアタックを見せた「速さ」のJ-P.ライフ。サポート役の3号車には同じく91、92年にレンジャーを駆り、完璧なサポートでチームの信頼が高い「仕事人」J.プティを起用し、万全な体制を整えた。また、3号車には日野自動車社員として初めて橋本武志が競技車両に同乗した。

ルートはパリダカ史上初の試みとなったダカールを起点にアガデスを往復するもので、木立の茂るブッシュ地帯が中心。そのため、砂丘でのテクニック勝負は望めず、車両の性能がそのまま順位に結びつきやすい設定だ。盤石の体制でスタートした「チームレンジャーHINO」だったが、最大のトラブルはなんと初日に発生する。序盤クラストップを快走していた1号車が水温の異常な上昇に気付いてストップ。ラジエターのシェラウドカバー脱落が原因で、12位と大きく出遅れてしまう。他の2台も同様の症状に見舞われており、初日からメカニックは夜を徹して対応に追われることになる。それでも、チーム一丸となって対策が施されたレンジャーは、水温を気にしながらも2日目以降は好タイムを連発。2号車が連日トップタイムをマークし、5日目となった1月9日、ついに総合首位に立ち、1号車3号車も4、5位まで順位を上げた。結局、2号車がトップ、3号車が3位、1号車が4位の成績で中間地点となったアガデスを折り返す。

後半戦に入っても1号車、2号車が1-2フィニッシュを飾るなど順調な滑り出しを見せた日野チームにパリダカの天使が舞い降りる。1月14日、2位につけていた最大のライバル、タトラのロプライスがエンジントラブルで戦線を離脱し、ついに1-2-3体制を確立。その後も3台は攻めの走りを続け、1月19日、ダカールのラック・ロゼに「HINO」フラッグを高々と掲げた3台のレンジャーが揃って現れた。日野チームが達成したカミオン部門での同一チームによる1-2-3フィニッシュはパリダカ史上初の快挙。もちろん国産トラック初のカミオン部門制覇であり、10リッター以下クラスの1-2-3フィニッシュを含め、記録ずくめの勝利となった。

「チームレンジャーHINO」
総監督:室崎勝聰
監督:茂森政
1号車 菅原義正/羽村勝美/松本尚子
2号車 J-P.ライフ/J.ダインホッファー(オーストリア)
3号車 J.プティ(ベルギー)/橋本武志/J-C.ワグナー(フランス)
エアメカニック 清野幸記(チーフ)/矢口義光/鷹取英明/中村保史/青島基洋(静岡日野)/西林孝昌(京滋日野)
他、総勢23名。
順位 ゼッケン ドライバー 車種
1 427 J-P. ライフ 日野レンジャー
2 402 菅原義正 日野レンジャー
3 411 J. プティ 日野レンジャー
4 425 E.ペルシエ メルセデス
5 406 G.ベルジノ 三菱
6 415 C.グロンジョン 三菱
7 404 C.バルピエール メルセデス
8 417 Y.フェリー メルセデス
9 433 B.マルフェリオール メルセデス
10 434 M.ガンビロン メルセデス