ダカールラリー

レースレポート・アーカイブ

「死の砂丘」を越え、日本車初のカミオン部門準優勝!
1994年 PARIS-DAKAR-PARIS

1994

93年には参加台数が200台をきってしまったパリダカ。政情不安でアルジェリアの通過が不可能になり、パリダカが持つ本来のアドベンチャー性を取り戻すのは困難といえた。その立て直しを図れる人物として白羽の矢がたてられたのが、パリダカの創生期を知る男・フヌイユ氏。この困難な状況でアイデア溢れる彼が出した答えが、このパリ・ダカール・パリである。文字通りパリからダカールへと向かい、再びパリへと戻る、走行距離13,000kmのまったく新しい戦いが始まった。

「ダカールまでは少しでも多くのエントラントをつれていく」というフヌイユ氏の言葉通り、アフリカの海岸線に沿って南下するルートは比較的難易度の低い設定だったが、岩場のステージが多く、ライバルのマシンが次々とトラブルに見舞われる。そんな中、前年に引き続き「チーム子連れ狼HINO」からプライベート参戦となった日野クルージングレンジャーは順調な走りで徐々に順位を上げ、ダカールでは3位にまでポジションアップを果たす。

そして後半戦に入り砂丘が登場。特に、1月9日の「死の砂丘」と名付けられた砂丘越えは、1台もキャンプ地に到達することができなかったという前代未聞のハプニングに見舞われキャンセルに。レンジャーもその砂丘と格闘しながらも、冷静な判断で乗り越え、2位に躍進。その後も順位をキープしたままアフリカステージを終え、再びヨーロッパへ渡った。

ヨーロッパステージでは食い下がるペルリーニを抑え、ゴール地点となったユーロ・ディズニーにタトラに続く2番手でフィニッシュ。国産車初となるカミオン部門準優勝を成し遂げた。

「チーム子連れ狼HINO」
1号車 菅原義正/羽村勝美/柴田英樹
エアメカニック 亀田次男
エアメカニック 矢口義光
順位 ゼッケン ドライバー 車種
1 401 ロプライス タトラ
2 400 菅原義正 日野レンジャー
3 405 マービー ペルリーニ
4 411 キエス ダフ
5 409 ボウレ メルセデス
6 404 メッジ ペルリーニ
7 424 カケット メルセデス
8 429 ゾウメ スカニア