ダカールラリー

ダカールラリー18年連続完走達成

過酷な中に、多くのことを学ぶ。
ダカールラリーとは、「学校」のような存在である。

HINO TEAM SUGAWARA 
1号車ドライバー/菅原義正氏
2号車ドライバー/菅原照仁氏

Etap3 2009/01/05 (Puerto Madryn-Jacobacci)
菅原義正氏操る1号車

Etap13 2009/01/16 (La Rioja -Cordoba)
菅原照仁氏の2号車

連日のレース作戦会議にも熱が入る

 「一瞬先には何が起こるか分からないダカールラリーは、1日10時間以上の走行中、瞬きする間も与えてくれない。そんな厳しいレースを最後まで諦めずに走り抜けることができるのは、応援してくれるすべての人たちに応えたいという強い想いがあるから。その気持ちは、これからも大切にしていきたい」。そう語るのは、HINO TEAM SUGAWARAの2号車ドライバー菅原照仁氏。去る1月3日から18日まで、アルゼンチンのブエノスアイレスとチリのバルパライソ間で繰り広げられたダカールラリー2009で、菅原照仁氏の日野レンジャー(HINO 500 シリーズ)をベースとしたダカールマシンはトラック部門排気量10リッター未満クラスで2位のゴールを決めた。

スタート前の菅原親子
経験豊富なだけに、余裕の表情を見せる
菅原義正氏

ダカールラリー。総走行距離約10,000kmにも及ぶ長く厳しい道程を、数週間をかけて激走する世界一過酷とされるモータースポーツ。日野は、TEAM SUGAWARAとともに1991年より参戦。以来、参加車の約半数がリタイアするというこのレースで18年連続完走という偉業を成し遂げただけでなく、1997年にはカミオン部門で総合優勝する他、これまでに総合2位に5回入賞している。そのHINO TEAM SUGAWARAを率いるのは、当年を加え26回を数える史上最多出場記録と20年連続完走記録を持つ菅原義正氏だ。今年67歳とは思えないその力強い手で自ら1号車のハンドルを握る義正氏に、日野とともに参戦してきたこれまでのダカールラリーの中で、最も印象深いのはどのレースなのか尋ねてみた。

標高4,200mのアンデス超えを無事終えた後、ビバークでしばしの休息

すると、菅原義正氏と照仁氏、親子で口を揃えて、2009年のレースだと言う。大会史上初の南米開催となった今年は、従来のアフリカ大陸での開催とは、気候の変化、走行地の状態、標高差等が大きく異なり、世界一過酷と称される同レースの中でもさらに過酷さを極めるレース展開となった。パタゴニアの平原、アタカマ砂漠、アンデス峠を越えるルートなど、多くの走者を苦しめた過激なまでのその道のりは、HINO TEAM SUGAWARAの2台の日野ダカールマシンにも例外無く牙を剥いた。義正氏の1号車は、駆動系のトラブルのため砂丘にスタックし、身動きがとれなくなってしまう。それでも決して諦めること無く、義正氏は同乗のナビゲーターと2人で約14時間もの間、ショベルで砂をかき出し自力で脱出。2号車も過酷な道程の中で駆動系トラブルに何度も見舞われた。「バンパーもフェンダーも無くビバークに帰ってくるトラックの姿はこれまでのレースでは見たことがなかった」。ダカールラリー史上最多出場の義正氏がそう言うだけに、この2009年のダカールラリーは、歴史上もっとも辛く厳しいレースであったに違いない。それでも、2台の日野車が通算18回目のゴールを無事くぐり抜けることができたのは、照仁氏の先の言葉に代表される「応援してくれるすべての方に応えたい」という走者の想いと、どんなに傷ついたマシンでも徹夜でメンテナンスし続けた日野メカニックの「決して諦めない」という情熱が絆を結んだチームワークによるものだろう。

東京のOfficeにて インタビューを受ける菅原照仁氏(左)に菅原義正氏(右)

菅原義正氏は、取材中、ダカールラリーのことを「学校である」と言い換えた。それは、過酷な試練の中で学ぶことの多さを物語っている。チャレンジすること。諦めないこと。コミュニケーションの大切さ、チームワークの素晴らしさ。「そうしたことを若い世代にもっと伝えていけるように、がんばっていきたい」。義正氏のその力強い言葉の中に、次回のレースでも完走記録を更新するHINO TEAM SUGAWARAの姿が見えるようだった。



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