日野がダカールラリーに挑戦し続ける理由

日野にとってのダカールラリーは、日野ブランドの支えのひとつである。

日野自動車 専務取締役(当時) 藤井恒彦

2009/01/18 ブエノスアイレスで遂にゴール
2009/01/18 ブエノスアイレスで遂にゴール
2009/12/10 日野本社にて壮行会を実施
2009/12/10 日野本社にて壮行会を実施

「ご存知の通り、トラックをメインとした商用車メーカーである日野は、消費財ではなく、資本財を製造しています。それは、お客様が、永続的に安定してビジネスを続けるための道具であり、壊れてはいけない。壊れてもすぐに直せないといけない。信頼性が担保されていなければばらないものです。ダカールラリーは、過酷な状況下での日野製品の信頼性を訴求することができるいい機会。日野がダカールラリーに挑み続ける大きな理由はそこにありますが、決してそれだけではありません。日野の全ての関係者が、どれだけひとつの目標に向かって心をひとつにしていけるか。日野にとってのダカールラリーとは、夢と情熱をかけてチャレンジすることを体験する重要なプロジェクトのひとつなのです」。日野は、1992年に迎えた創立50周年の記念事業の一環として、1991年にダカールラリーに初参戦。2008年は開催国の政情不安でレースそのものがキャンセルとなってしまったが、それを除く18戦を連続で参戦し続けてきた、その理由を日野自動車専務取締役(当時)の藤井恒彦は上記のように語ってくれた。

燃費効率を向上させた経済効率性。より永く現役を務められる耐久性。事故の予防に貢献する安全性能。キャビン空間の快適性や操作性。悪路でもパワフルな走りを発揮する走行性能。そして、排ガスを抑制する環境適合性など、物流の世界を支えるトラックに必要とされるテクノロジーは、日進月歩の進化を求められている。ますます高度になっていくニーズに応えるためには、越えなければならない難題が必ず付きまとう。どんなに大きな壁が行く手を遮ったとしても、決して諦めないこと。チャレンジし続けること。日野が世界に誇る数々のテクノロジーは、そんな強い精神力と情熱から生み出されてきた。

専務取締役(当時)藤井恒彦
専務取締役(当時)藤井恒彦

日野のその開発精神は、ダカールラリーへの挑戦と重ねて見ることもできる。「技術開発において日野のポテンシャルをどうあげていくか。技術陣にチャレンジするということを経験させたかった。排ガス規制のクリア、ハイブリッド開発など、トラックに求められる技術革新は全てチャレンジなくしてはできない。ダカールラリーは、過酷な状況下、先の見えない状況下でのチャレンジを必要とする、ある種、もっとも分かり易い機会と言えます」。ダカールラリー参戦の経験が、日野スタッフの財産となり、会社全体の財産になっていると、藤井専務は言う。「ダカールラリーに参加できるメカニックはごく僅か。毎年厳しい倍率で選出されますが、大会に出場したいという、その情熱と技術向上の切磋琢磨の中で本物のスーパーメカニックが育ってきている。さらに、うれしく思うのは、日野の販売代理店、ディーラー、お客様、そして、HINO TEAM SUGAWARAのスポンサーの方々が、私たちの活動をサポートしてくれること。数多くの海外の販売代理店が、応援するぞと一生懸命になってくれているし、まだ市場参入していない地域の人々でさえ、日野といえばダカールラリーというイメージを持っている。日野製品を世界中に売っていくためにも、ダカールラリーは重要な支えなのです」。

ダカールラリー2009に向けて新たに改造されレーシングトラック前のHINO TEAM SUGAWARA
ダカールラリー2009に向けて新たに改造されレーシングトラック前のHINO TEAM SUGAWARA

続けて、藤井専務は、ダカールラリー参戦についての未来をこう語ってくれた。「環境への取り組みがますます重要になっていく今日、エコロジーとモータースポーツの調和ということも課題になっていくかもしれない。そのためにも、将来に向けた技術開発力をあげていくことが、日野としてのチャレンジであり、次ぎなる可能性に積極的に対応できるための体力をつけていきたいと思います」。新たなる技術革新に果敢にも挑む日野は、その自身の姿をゴールの先に見ながら、これからもダカールラリーへ挑み続けていくのだろうか。「ダカールラリーがある限りやっていきたいと思う」。取材の席を、藤井専務は最後にそう締めくくった。

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